700 x 900  2002年制作


私がバリと関わって来た経緯をお話しましょう。

大学生の1981年、通っていた和光大学の学園際にバリダンスの日本人舞踏家、辻村和子氏が公演に来ました。当時付き合っていた彼女がすっかりバリダンスの魅力に惹かれ、毎週日曜、下北沢の稽古場に通うようになりました。初め私は、見学していただけでしたが、そのうち舞台セットを作ったり、衣装の着替えを手伝ったり、カセットで音楽を流したりの裏方手伝いをするようになりました。そんな頃、プリアタン村のティルタサリが初来日公演を国立劇場で行いました。初めて本物のバリ人ダンサーに触れました。踊りの中にジョゲブンプンという女性ダンサーが男性を誘う踊りがありました。プリアタン村の王族の娘ラットウに指名されてしまった私はなんと、国立劇場の舞台に上がってしまい、後からうちのダンスグループのメンバーから嫉妬の嵐でした。98年には特びティルタサリが豊島園で2ヶ月、夏の間毎日公演!の為来日しました。その頃にはもうティルタサリのメンバーに友達も沢山いたので、東京観光や買い物通駅にボランティアで同行しました。そしてスケルタとラッティ(ラットゥの妹)を自宅に招待しました。そこで私の作品を観たラッティは「もったいない、バリの美術館を紹介してあげますから、パリで展覧会をなさい」と言って下さり、そして2000年にウブドのアグンライミュージアムで個展となった訳でした。

それ以来、アグンライ氏とは仲良くしてもらっていて、ウブド滞在中の活動の中心はARMA (Agung Rai Museum of art)になりました。

この木の場所もアグンライ氏が教えてくれました。